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FOR INTERNATIONAL CONTESTANTS

INTERVIEW

インタビュー

SPECIAL INTERVIEW JOSE XTRAVAGANZA

  • スペシャルインタビュー
2018.06.15 UPDATE

現代のVOGUEスタイルに多大な影響を与えた超重要人物「JOSE XTRAVAGANZA(ホセ・エクストラバガンザ)」。
"NEW WAY"のオリジネイターである彼に、生い立ちからVOGUEとの出会い、NEW WAYが生まれる経緯、VOGUEに対する考え方などについてインタビュー。

 

===PROFILE===
名前: Jose Gutierrez
年齢: 4●歳
ダンス歴: 約40年
出身: N.Y.C.
所属: House of Xtravaganza

 

1990年ヴォーギングをメインストリームへ押し上げ、第一次ヴォーギングブームを巻き起こした立役者の一人であり、日本でいうBE BOP CREW的な実力と実績と歴史のあるHouse of Xtravaganzaに所属。ヴォーギングの本質である体のライン、美しさ、カリスマ性など極限まで細部にこだわった洗礼されたパフォーマンスが見るものを魅了する。当時ホセの踊り方は斬新であり、現在のNEW WAYの基盤となった。細くしなやかな体で歩くRUNWAYはどのスーパーモデルよりも美しい。
MADONNA 「VOGUE」の出演・振り付け・演出を行い未だにミュージックビデオのファンは多い。ファッション誌のモデルや、モデルへの指導、世界のコレクションへの参加やプロデュース、テレビ番組や映画の出演、チャリティー活動などその才能は多岐にわたる。ダンスに関しては10歳の頃にバレエの才能が開花し、様々な演目に出演依頼され、現在もバレエスクールの特別講師等行っている。体のラインやキレ、艶やかな所作、カリスマ性は衰えることを知らず当時を彷彿させるパフォーマンスは健在である。若い世代にVOGUEやその歴史を伝えていきたいという使命感から世界中をまわりヴォーギングやランウェイ等のWSを行っている。

 

【経歴】
所属:House of Xtravaganza
VOGUEシーンにて最高峰であるHall of Fameに選ばれる。
<ミュージックビデオ、ライブ>
1990年 MADONNA「VOGUE」 出演・演出・振り付け
MADONNA Blond Ambition Tour
1993年 Tony Benet「Stepping Out With My Baby」
1997年Rolling Stones「Has Anybody Seen My Baby」
2006年 Madonna「Justify My Love」
2013年 ICONA POP「All Night」
<映画>
1990年 Paris is Burning
1991年 Truth or Dare in Bed with Madonna
2006年 How Do I Look
2016年Strike A Pose
<テレビ>
2017 Katty PerryのSaturday Night Live
<チャリティ>
ウィーン amFAR’S LIFE BALL

 

 

 

ー最初に踊り始めたのは何歳くらいからですか?


3歳くらいかな。両親が音楽好きだったから家ではよく音楽がかかってたんだ。ただ、家が貧乏だったのでダンスレッスンに払うお金は無かった。だから家族団らんで音楽がかかってる時にテレビのコマーシャルで見たことなんかを真似して踊る、みたいな事してたのが最初だね。

 

 

ーテクニカルなダンスを習い始めたのはいつですか?


小学生の頃、政府のプログラムの一環でダンスの才能のある子を探すオーディションがあって、うちの学校でも行われたんだ。当時、男子の間ではダンスなんて女の子がするものだから俺らはしない!みたいな雰囲気があったんだけど、私は興味があったからそんな事はお構いなしに女の子の友達と一緒にオーディションを見に行ったんだ。そしてそのオーディションを受けてみることにしたんだけど、凄くテンションが上って自分の番が回ってきた途端にいきなり「スプリッツ」(前後180度開脚の技)をして見せたんだ!自分は元々身体が柔らかかったしね。身体の柔軟性を活かした技を幾つか披露したんだ。それらが功を奏して、そのオーディションに受かる事ができたのさ。それは「The New Ballet School」という所で、レッスン料を免除されてダンスを習うことが出来ることになったんだ。当時8歳だったんだけど、学校の授業が終わったらバスが迎えに来てバレエのレッスンを受けに行く。そんな生活を6~7年送っていたよ。そして高校は芸能系の学校のオーディションに受かって、ダンス以外にも歌や芸術や芝居なども学び始めたんだ。アリシア・キーズやニッキー・ミナージュマドンナの娘もこの学校出身だよ。この学校でも自分はお金を免除されて学ぶことが出来たんだ。この学校ではジャズダンスやモダンやフラメンコなど、様々なジャンルのダンスを学んだよ。

 

 

ー最初にVOGUEに出会ったのはいつですか?


あれは高校一年生の頃、15歳の時だね。先輩がNYのウエストビレッジに連れて行かれたんだ。当時は今よりもずっとゲイなど同性愛に対する差別が強かった時代で、そういった人達はウエストビレッジに集まってコミュニティーを構築していたんだ。僕はその時、ゲイの人達がストリートでVOGUEをしているのを見たんだ。「あのダンスは何なんだ!?」って先輩に聞いたら「あれはアンダーグラウンドのゲイのダンスだよ」って教えてくれたんだ。それはポーズをしてバトルをしている、見せあっているって感じだった。自分もそれに触発されて同じようにポーズしてみて更になめらかに見えるようにダンスのテクニックを融合させて踊ってみたりしてる内に、このダンスのバトルで勝てるかもって思うようになったんだ。そして初めての「BALL」(※注釈1)に行って初めて本格的なバトルを見たんだけど、それは当時虐げられていたゲイの人達が本当に伸び伸びと自分自身を開放し、クリエイティブを発揮していたのさ。自分自身そういった光景を見たのはこの時が初めての体験だったよ。素晴らしいと思って感動したのを覚えてるよ。けど、自分はそんな中で「バトルに出たい!」って思うようになったんだ。そして次の「BALL」でいよいよバトルに出たのさ。当時は凄く背が低かったし、どこの子供が出てきたんだ!?みたいな雰囲気になったけど、構わず思い切り踊ったよ。今考えると凄く動きが速くなってたし、緊張しまくってたけど、それでも勝てることができたんだ。以降、私はこのVOGUEに熱中したよ。もう全部の「BALL」に行きたい!バトルに出たい!って思ってたし、自分が出ると「ホセ!ホセ!」って感じで自分を応援してくれたりしたしね。

 

 

ーその当時(1980年代後半)「BALL」ではどんな曲がかかっていたのですか?またバトルではどんなカテゴリーがあったのですか?


ハウスだね。当時まだハウス自体がメジャーな音楽ジャンルとして多くの人に認識される以前だったから、自分も当時は何なのかを分かっていなかったけど、あれはハウスだったよ。当時、バトルのカテゴリー(※注釈2)は「Realness」「Butch Queen Pop-Dip-Spin(今で言うOldway)」「Butch Queen Vogue Peformance」「Butch Queen Face」「Runway(Butch Queen/Fem Queen)」「Bizzare」「Futurestic Bizzare」「Sex Siren(Butch Queen/Fem Queen)」「Body」などが当時からあったね。「Ball」では現実では出来ないことを実現する、そういったコンセプトのものが多いんだ。だからみんな衣装も凝るし、みんな盛り上げ合う事で最高の時間が生まれるんだ。一晩でも自分を思い切り開放できてなりたい自分になれる場所がある事は、ゲイの人達にとって凄く嬉しいことだったし心の拠り所でもあったんだ。当時は同性愛者に対する差別は強くて、中にはゲイという事だけで家族から縁を切られたり、学校を退学になったりしている子もいたくらいだからね。

 

 

ーHouse of Xtravaganzaに入るきっかけは何だったのですか?


最初の「Ball」で勝った時のMCが「アンジー」でHouse of Xtravaganzaのマザーだった人だったんだけど、「あなたはどこのHouseに所属しているの?!」って私に声をかけてくれたんだ。僕は「入ってないよ」と答えたら、「私のHouseに入らないかい?」って言ってくれたんだ。私の母は自分がゲイであっても受け入れてくれたけど、みんながみんなそういう訳では無かったんだ。「House of Xtravaganza」のメンバーも多くは縁を切られたり、心に傷を負った人が多く所属していた。「House of Xtravaganza」のファミリーが本当の家族のように助け合ったり、手を差し伸べたりしているのをウエストにレッジで実際に見てきて、自分は一生「House of Xtravaganza」として生きていこう、そしてみんなを出来るだけサポートしていこうって心に誓ったんだ。

 

 

ーHouse of Xtravaganzaには拠点となる家があったりしたんですか?


「デイビッド・イアン」と「ダニー」が家を持ってたから、そこに家のない子を収めてくれたりとか、ご飯代をくれたりしたんだ。部屋に20人位寝泊まりしてる時もあったよ。みんなでお菓子を分け合ったり、みんなでビーチに行って遊んだり、まるで本当の家族のようにシェアし合ったり、助け合ったりして共同生活していたんだよ。

 

 

ーマドンナの「VOGUE」で大抜擢される訳ですが、その経緯を教えてください。


マドンナはゲイコミュニティーをCHECKしてる人だったんですね。で彼女のヘアスタイリストの人が私のことを知っていてマドンナに話をしたらしいんだ。そしてある日クラブでそのヘアスタイリストの人が私に声をかけてきたんだ。「私はマドンナのヘアスタイリストをしてるんだけど、君のことをマドンナに話したよ」って。私は到底信じられなかったんだけど、後日、別のクラブでその人にまた声を懸けられたんだ。そして連れて行かれた先にマドンナがいたんだよ。そしてこう言ったんだ「ホセ、あなたの事は聞いているわ。VOGUEが凄く上手いらしいわね。今踊りを見てみたいわ。」ってね。ただ、その時はちょっとオシャレしててゴルチェのタイトな服を着てたんだ。踊りやすくないし汚したくなかったから「今日は服を汚したくないから踊りたくないんだ。」って言ったらマドンナが彼女のSPの男性のズボンを脱がせて、それを私に履くように言ったんだ。実はその時タイトなスーツだったから下着を履いてなかったのだけど、マドンナにここで着替えなさいって言われて私は彼女の前でSPのズボンに履き替えたのを覚えているよ(笑)。そしてマドンナの前で踊ることになるんだけど、ダンスフロアに行くとみんながマドンナに気がついて、自然にビッグサークルが出来てマドンナにダンスを次々に見せていく、みたいな状況になったんだ。まるでオーディションさ。マドンナは椅子に座って、彼女の前で次々にダンサーが出てきてダンスを披露していく。私は最初に彼女の前でVOGUEを披露したあと、彼女の横に座らされて「あなたが凄いと思うダンサーは誰か教えて。」って言われたんだ。つまり、気に入られたってことだね。そして彼女に「あなたを私のツアーに連れていきたいと思ってるのだけど、VOGUE以外のダンスも踊れないといけないからオーディションに来てもらえる?」って言われたんだ。そしてオーディション当日、実は遅刻しちゃったんだ(笑)。すでにオーディション会場には見たことがないくらい大勢のダンサーがいて、私ともう一人、一緒にオーディションを受けに行ったルイスとでその大勢のダンサーの後方にこっそり入っていこうとしたら、「今、遅刻して入ってきた2人、前の方に来なさい。」って言われて。それで仕方なく前へ行ったのさ。私は仕事のオーディションを受けるのはこれが初めてだったし、大勢ダンサーはいるしで凄く緊張していたから、踊らずに見本を見せているダンサーの振り付けをただ見ていたんだ。だけど、ただ見ていただけではなく、見て振りを覚えていたんだ。私は踊らなくても見ることで振りを覚えられるのさ。その振り付けはバレエの振りだったしね。しばらくそうしてたらマドンナに「あなた大丈夫なの?じゃあやって見せて」って言われたから踊ってみせたんだ。正直完璧に踊って見せる事ができたよ。それを見たマドンナは「何よ!?あなたプロフェッショナルじゃない!なんで言わなかったのよ?」って言ったから「聞かれなかったから言わなかったんだ」って返したよ。そこから私とルイスの2人が選ばれて、他に人たちは帰らされて代わりに別の人達が入って同じ振り付けを踊らされて。凄くハードだったよ。ずっと踊らされるんだもの。それがずっと続いた結果、7000人中の7人の中に入ることが出来たんだ。一緒に受けたルイスも受かったよ。このオーディションに受かったことでワールドツアーに行くことになったのさ。けど、私は一番身体が小さかったし身体も細かったから、オーディションの翌日からジムに通って身体を作るよう言われたよ(笑)。それからLAでの3ヶ月の練習期間を経てワールドツアーへと旅立ったんだ。17歳の時の話さ。

 

 

ーワールドツアーを通じてVOGUEが世界に広まっていくのを実感しましたか?


そうだね。私達のダンスをビデオやツアーで見た若者たちが影響を受けてVOGUEに熱狂していく様子は色んな国で見ることが出来たよ。当時はインターネットなんて無かったしね、衝撃的だったと思う。パリではわざわざ私達の振付を覚えてそれを見せる為にホテルまで押しかけてくるやつらやストーカー行為までしてくるやつらもいたよ(笑)。

 

 

ーこのワールドツアーやミュージックビデオでマドンナの楽曲の振り付けをしたそうですね。


そうだね、マドンナの楽曲「VOGUE」のビデオや、マドンナがマリーアントワネットに扮したパフォーマンスで有名なMTVビデオミュージックアワードでのパフォーマンス、あれらは自分の振り付けなんだ。MTVのパフォーマンスではそれ用にまた新しく振付を用意しないといけなくて凄く大変だったけど、おかげでベストコレオグラファーアワードにノミネートされたよ。結局ジャネット・ジャクソンの「リズムネーション」のコレオグラファー「アンソニートーマス」が受賞したんだけどね。ノミネートされただけでも光栄なことなんだけど、当時は悔しくて。受賞したアンソニートーマスにはアフターパーティーで「君の振付は素晴らしかった。この賞を受賞するに相応しいレベルだったよ」って大人な対応をされたけど、私は18歳でまだまだ子供だったからもう悔しすぎて「うるせえ!」って言っちゃったよ(笑)。

 

 

ートップモデルに「RUNWAY」のレクチャーもしてきたそうですね。


そうだね。ナオミ・キャンベルやケイト・モスとか。最初はナオミ・キャンベルだったよ。写真家のピーター・リンドバーグの仕事で一緒になってそこで知り合って仲良くなったんだ。凄く仲が良くなって色んな場所に2人で行ったりしてたから「ボーイフレンド?」と間違われたこともあったよ。そんな彼女とある日、朝までクラブで遊んでて、朝焼けの中、道でランウェイごっこみたいなのをして遊んでたんだ。そしたら数日後「教えて!」って電話が来て正式に教える事になったんだよ。それ以降色んな人からレクチャーの依頼が来るようになったんだ。

 

 

ーNEW WAYの成り立ちについて教えてください。


私がNEW WAYを踊り始める前までは、マネキンのようなポーズの連続で構成されたスタイルだったんだ。私はVOGUEを踊り始める以前にバレエなどのダンス経験があったのと柔軟性のある動きが得意だったから、このポーズの連続であるスタイルをよりダンサブルに柔軟性を活かした新たな形に作り変えたのさ。1987~1988年の話しさ。結果的にそれがBALLでも受けたしこのスタイルで勝てたんだ。そうして私のスタイルが「NEW WAY」と呼ばれるようになり、それを受けてそれ以前のスタイルが「OLD WAY」と呼ばれるようになったのさ。そして私のように身体的な柔軟性を持っている他のダンサーたちが真似し始めてこの「NEW WAY」が広まっていったよ。当時は18歳で特に特別な意図を持って新たなスタイルをクリエイトした訳では無かったけど、おそらくこのVOGUEのNEW WAYという私が作り出したスタイルは僕が死んでも残っていくだろうし、VOGUEが無くならない限り私の名前は後世に受け継がれ忘れられる事はないだろなって思うんだ。凄く光栄で嬉しく思うよ。

 

 

ーそういった偉業を成し遂げる事ができた要因はどこにあると思いますか?


「情熱」だね。何か一つの動きがあるとして、自分はそれをもっとうまく出来る、ブラッシュアップしたり、新たなものへと変化させる事ができる。そう信じ行動していく為の「情熱」かな。一つ忘れないで欲しいのはこれらを当時18歳の若造が成し遂げたって事さ。18歳の少年がシーンに変化をもたらしたんだ。これは今後のシーンを担っていく若い世代にも同様な事を成し遂げる事ができる可能性があるって事さ。

 

 

ー最近のBALLROOMについてどう思いますか?


凄いなって思うし、素晴らしいなとも思うけど、それと同時にVOGUEカルチャーのヒストリーを知らないままパーティーを開いたりしてる人がいるのは残念だし、それはもはやBALLではない別物だと思うんだ。現代はネットの普及で情報が手に入りやすい反面、表面的な事が広がりやすく本質的な部分が広がりづらい状況にあると思うんだ。本質的なことからは程遠いけど見た目に派手なダンスがSNSなどでシェアされやすかったりするしね。だから、VOGUEを学ぶ場合は誰から学ぶかをしっかりと見極めた方がいいだろうね。

 

 

ーアジアのVOGUEシーンについてどう思いますか?


I LOVE IT! 最高だよ。僕が台湾や日本で見たVOGUERの印象は、しっかり基礎や歴史を学んだ上で自分らしさを出そうとしているという点が素晴らしいね。みんな仲がいいしね。大阪ならHOUSE OF LEOPARDや、台湾ならSUPER NOVAだったりが、みんなで協力しあって物事に取り組んでいる姿を見るのは本当に感動するし素晴らしいことだよ。凄くインスパイアされるね。

 

 

ーVOGUEを進化させる事に於いて気をつけるべき事は何だと思いますか?


クリエイティブなものに対して受け入れるという姿勢をキープすることだね。今、「VOGUE FEM」のバトルではFIVE ELEMENTS(5つの要素)を必ず入れなければいけない、みたいなルールがあったりするけど、それは昔は無かったよ。こういったルールは自由な発想を阻害する可能性があると思うんだ。そういった誰かが勝手に作ったルールに縛られず、真実や本質を追求して、そこから新たなクリエイトをスタートさせて欲しいと思うよ。

 

 

ーVOGUEを踊るにあたり最も大事な事は何だと考えますか?


僕にとっては「パッション(情熱)」だね。ルーティンは誰でも出来る。VOGUEカルチャーやBALLROOMカルチャーの根幹にあるのは、何も持たないゲイの人達が「ああなりたい」「こうなりたい」という風に夢を描き、それを具現化させた事にあるんだ。その原動力は「パッション」なのさ。

 

 

ーVOGUEを志す若者にメッセージを


自分自身を表現することを恐れずそのまま突き進んで欲しい。そして情熱を見せてくれ。何も持たないゲットー出身の貧乏な子供が、夢を叶えることができたんだ。自分が誰なのかやセクシャリティーを全て受け入れてくれる、その上で純粋に表現ができる。VOGUEというのは希望そのものなのさ。

 

[翻訳] Chycca Xtravaganza

 

(注釈1)
「BALL」
ゲイコミニティーのパーティー。Vogueダンス以外にも様々な種目(カテゴリー)に名前をつけ競うバトルをがある。

 

(注釈2)
「Reallness」
ゲイ(男性の同性愛者/BQ)がストレート(異性愛者)の社会にとけこむために、いかにストレートに見えるか。また、fem queen(男性から女性に性転換した人-FQ)がいかに本物の女性に見えるか。また、ビジネスマンや学生になりきっていかに本物に見えるかを競う場合もある。
https://youtu.be/_9A0ICAbTUI
有名な人/Kelly Mizrahi(FQ)

 

「Face」
顔の美しさを競う
https://m.youtube.com/watch?feature=youtu.be&v=cE6PosC8uj4
https://m.youtube.com/watch?feature=youtu.be&v=0sc1lIGK59c
https://youtu.be/krYh3Yz9qQE
有名な人/Whitney Garçon, Trace Mizrahi, Gisel Xtravaganza

 

「Runway」
モデルのように美しく歩いてポーズ
https://youtu.be/bKmkkYxOJSY
https://youtu.be/vZ9ZjsGz4yc
https://youtu.be/shaj5mvWl0Y

有名な人/Twiggy Garcon,Cory Chanel, Diva Davanna Mizrahi 

 

「Bizzare」
今まで見た事もない新しい物を創造する
https://youtu.be/klq4BFq1Hdo
有名な人/ G Xtravaganza , Lee Soulja
日本で行われたBizzare
https://youtu.be/l5lFm9sgCss

 

「Sex Siren」
性的魅力を競う。
https://youtu.be/zDkS7D1GcmM
https://youtu.be/SvYFWgBng-o
https://www.youtube.com/watch?v=jO3vR0M0N2Q(日本)
有名な人/Sinia Ebony,George Mizrahi, Chycca Xtravaganza

 

「Body」
身体の魅力を競う
https://youtu.be/mvrA7winTf8
https://youtu.be/qFcelitza1g
https://youtu.be/KPUl4Fs-kSQ
有名な人/Quincy Garcon, Barbie Mizrahi

 

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